【鈴木愛理】痩せすぎた過去、意志をとり戻した瞬間など…新人モデル時代を振り返る!
約9年間、Ray専属モデルとして大活躍してくれた鈴木愛理が9月号をもって卒業!今回は、加入当時の“新人モデル”時代についてインタビューしました。今だから明かせる「場違いを痛感した」という思い出や、当時から目指している「モデル像」など。転機のたびに進化を遂げてきた愛理のスタンスは、まさにエースそのものでした。
新人モデル 鈴木愛理の始まり
Check!なにを軸にすればいいのかは、自分の心が決めることだから
専属モデルデビューは2015年。当時の「めっちゃ衝撃的な出来事!」としてあげてくれたのは、先輩のRayモデルたちとの初対面
「初めて先輩たちと同じ撮影の日が訪れて、スタジオのドアを開けてパッと目に入った先輩が美優さんだったんです。
美優さんが朝からマグカップで温かい紅茶を飲んでいる姿といったら……、私、あんなにきゃしゃでキレイなお姉さんに人生の中で出会ったことがなかったんですよね。
美優さん、シカちゃん(鹿沼憂妃)さんはじめ、これぞモデルというスタイルに圧倒されてしまって。ハロプロではやせていてもパフォーマンスのための筋肉がしっかりついているので、細さのジャンルがモデルとは違う。
モデルさんは、すでに骨から細くて長くて、背も高いので、私、足を踏み入れる場所を間違えたと思って、すごく焦ったし、緊張したんです」
場違いを痛感しながらも、来た仕事にはなにかしらの意味があると自分に言い聞かせた。2014年に発売したスタイルブック『Airi-sT』の流れで、女性のファンが増えだした時期でもあった
「専属モデルになってわりとすぐに、企画でずっと貫いてきた黒髪を茶髪にしたんですが、わかりやすく男性のファンが一気に減りました。
今はそうじゃないけれど、それこそ10年くらい前のアイドルは、茶髪はもちろん、ピアスをあけたり、濃いめの赤リップを塗ったりするのは、熱愛発覚くらいのネガティブなパワーがあって。
私もリップやネイルは血色くらいの自然なピンクが基本で、生まれたそのままの美しさでいることが正義。
それを貫いていたけれど、いざモデルをやっていくとなったときにはそのままではいられない。ヘア&メイクのちょうどいい落としどころを模索していました。
ただ、“推し変”はよくあることだし、ちょうどその時期にブログを始めたこともあって、私のリアルな日常を受け入れてくれたファンの方が増えたのが支えにもなって、その時期を乗り越えることができました。
私にとって茶髪になったことがよくも悪くも大きな転換。思い切ってやったことで、その後がすごく自由で楽しいことばかりになっていきました」
始まりは自分の意志ではないけれど、求められた以上に応えていくのは、愛理にはやりがいでもある。ただ、努力の方向と加減が思いのほか難しかった
「美優さんや鹿さんを目の前にしたら、もっとやせなくちゃと思って、モデルを軸にした体型づくりに励んでしまったんです。2016年くらいかな?℃-uteが解散する1年前くらいの時期でした。
℃-uteでもダンスの先生が変わって、めちゃくちゃ踊るようになっていたのに、ジムにも通い始めて。1回やると決めたらやりすぎる性格もあって、腕も細すぎたし、胸もお尻もお肉が削げちゃった。
やせすぎたせいで予定していた写真集がなくなるという事件もあったくらい。『今の体じゃ、出さないほうがいい』といわれて、めっちゃパニックになりました。
モデルとして真っ当に努力を重ねているはずなのに、場所が変わるとやせすぎだといわれてしまう。
女性ファンはあの頃の細さが好きと言ってくれるコもいまだにいるので、本当に自分がどうしたいか、どうなりたいかが定まっていないとグラグラしちゃうなと。
私はなにを軸にしたらいいのか?を突き詰めて考えていた時期ですね」
ちなみにインタビュー中の愛理の目の前には過去の掲載誌がどっさり。改めて驚かされるのは、どの撮影や企画も愛理が鮮明に覚えていること。モデルの私服紹介のページに目を留めると、「地獄だったー!」と笑いがこぼれた
「忘れもしないのが、私服で11体のピンクコーディネートを求められたこと。マジで服がないし、靴なんて3足くらいしかなかった。
他のモデルさんに事情を聞くと展示会で入手しているとのことだけど、展示会ってどこでやってるの?誰が連れていってくれるの?と疑問だらけで。
℃-uteメンバーの萩原舞ちゃんからお下がりでもらった、HONEY MI HONEYのピンクのトップスが大活躍しました。
自分の私服を見せる機会もなかったし、誌面映えする服をそのまま私服で着て『モデルぶってる?』とメンバーに思われるのも怖かったなぁ(笑)。
だから私、なかなかサングラスもかけられなかったんですよ。サングラスデビューも遅かった」
Check!私はモデルじゃなくて、あくまでもRayモデルなんです
「今でも、自分がモデルの肩書きを背負っていることに違和感があるんですよ。でも、Rayのことはわかっているし、Rayとしての心は持っているから、『Rayモデルです』となら胸を張っていうことができる。
モデルさんというのは、幼少期の写真の時点で明らかにひざ下が長いみたいな人のことであり、私はRayにいるからこそモデルと名乗らせてもらえるだけ。本当にありがたいこと」
今でも覚えているのは、加入当初「これからどんなモデルになりたいですか?」という質問に対して、自分が出した答え
「親近感のあるモデルになりたいって、絶対に答えていると思います。
私の中でモデルさんといえば現実離れしたスタイルを持つ人だけど、私はいわゆるフリーサイズ身長なので、ファッションの着こなしにしてもリアルなお手本にはなれると思ったんですよね。
必要以上にやせたり、自分の中のモデル像に無理して近づかなくてもいいんだなって。
例えば、ファッションにしても、読者のコたちがちゃんと手の届くアイテムを楽しむ。
ハイブランドもあまり興味がなかったし、年令に不相応だと思っていたら、いつの間にか読者のコたちがブランドを持つようになっていて追い抜かれていたけど(笑)。
ここ2年くらいで、母のお下がりのブランドバッグを大事に使えるように。30才になってからですよ、ちょっと奮発してお買い物をするようになったのは」
そう決めたことによって、自分で自分を救ってあげることにもつながった。自分らしく輝くための道筋が見えてきた頃、グループの解散が決まり、ソロとして再スタートを切ることになる
「ソロプロジェクトをやりますとなってから、私自身がなにをやりたいかを聞かれるようになりました。自分の意見をいうのはわがままだと思っていたから、“はい・いいえ”の意見を持つという発想さえなかったんです。
環境が新しくなって、まわりのスタッフさんたちにも『好きなことをやろう。みんながいるから大丈夫だよ』って背中を押してもらうことで、やっと自分の意志をとり戻した。
それは音楽をはじめ、モデルや俳優として、私が携わるすべてのことに」
それまでも与えられるものに対して、こなすのではなく、120%で応えてきたし、鈴木愛理がやる“意味づけ”を怠ることはなかった。だから、自分の中から生み出すフェーズにきた愛理は最強なわけで
「いつでも、今できる100%でやってきたっていえる自信はあったから、いざ自分からなにかを発信するときも心が揺らぐことはなかったし、チャンスはつかみたいし、自分に来たお仕事は全部やりたい。
アイドルとRayモデルをきちっと区切って活動していたけど、その垣根がなくなったことも表現においてはより自由になるきっかけだったのかもしれないですね」
撮影/女鹿成二 スタイリング/杉本奈穂(KIND) ヘア&メイク/室橋佑紀(ROI) モデル/鈴木愛理(本誌専属)取材・文/長嶺葉月