【鈴木愛理】Ray㋲としての9年を振り返り♡ 初登場で感じた「葛藤」とは?
9月号をもってRayを卒業する鈴木愛理。今回は、Ray初登場で感じた「葛藤」について、正直な思いを語ってもらいました。アーティスト、モデル、俳優として進化し続けた約9年を振り返るラストインタビューを、ぜひチェックしてみて♡
アイドルとしての鈴木愛理を変えられてしまうことへの葛藤
インタビューは、思いがけず率直な言葉から始まった。今だから言える、あの頃の思いがそこに込められていた
「本当に言葉を選ばずにいってしまうと、モデルになりたいっていう願望は1ミリもなかったんですよね」
そんな愛理にRayモデルという肩書きが加わったのは21才のとき。当時、アイドルグループ℃-uteとして活動し、現役の大学生でもあった
「グループの中でなんとなく担当のようなものがあって、私はモデルといっても、ファッションではなくグラビア向け。
どちらかといえば女のコウケの体型じゃなくて、男性が好きでいてくれる体型を維持する立場をまかされていると思っていたし、そこを貫いていたから服をおしゃれに着る意識がまったくなくて。
メンバーには私より脚の長いコもいるし、もっと細いコもいて、ファッションやモデルさんに詳しいコもいたから、自分とは関係のない世界くらいにとらえていたんです」
モデルやファッションに興味がなかったわけではないけれど、自分の中の優先順位は高くなかった。服でいえば、制服が1番好きだったんだ、と当時を振り返る
「あとは、自分がモデルをやることに申し訳なさもあったんですよね、アイドル時代は。
グループの中にいると、グループの中で世界が完結している感じがあって、自分の立ち位置からはみ出してはいけないような気もしていました。なによりも私は歌をやりたいし、歌をまかされているという自負もありました。
アイドルとしても王道でいること。2010年代は、黒髪ロングの正統派アイドルが正義みたいな風潮でしたし、モデルをやることでそこから逸脱してしまう不安もありました。
実際に、当時のモデルは茶髪でメイクも囲み目とつけまつ毛がトレンドでしたし、私が今までやってきたこととは正反対の世界だったから、私が求められることなんてないだろうなって」
Rayの初登場はビューティーページ
「メイクは好きだったので、ビューティーモデルとして登場することはまだ怖くはなかったけれど、それまでいつもメイクをしてくれていたヘア&メイクさんではないし、自分の意見を入れないでメイクしてもらう経験もなくて……。
できあがった顔がモデル仕様になっていて、あまりに見慣れなさすぎて(笑)」
“愛理ちゃん、いつもと顔が違う”とファンから届く声にも心がざわついた。変化や転機にはなにかしらの痛みが伴うことは、大人になった今でこそわかることだけど、当時はやっぱりしんどかった
「今は、過去の誌面を見てもそうは思わないけれど、あの頃は私自身も“盛れてないなぁ”とずっと思ってたんですよ。自分の顔なのに見慣れない状態が怖かったんでしょうね。
お試しで3ヵ月ほど撮影に参加しているとき、とある編集さんから『顔だけを撮られているけれど、(カメラには写らない)首から下もちゃんとポージングをしているね』といわれて、そこからファッションもいけるんじゃない?と、あれよあれよという間にファッションのほうにシフトしていくことに。
改めて専属モデルになったときには、ビューティーよりもファッション企画のほうがメインとなっていったんです」
撮影/女鹿成二 スタイリング/杉本奈穂(KIND) ヘア&メイク/室橋佑紀(ROI) モデル/鈴木愛理(本誌専属) 取材・文/長嶺葉月