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私の日常を勝手に「エモい」の一言でまとめないで

私の日常を勝手に「エモい」の一言でまとめないで
“ていねいな暮らし”に憧れ、自分のことを「エモい」と一括りにする彼氏に違和感を感じている由依。だけどある日、あることに気づく…。
目次
  1. 休日、私だけの日課
  2. 同窓会で再会した、人気者の彼
  3. 「エモい」と言われなくなる日まで
  4. 【あわせて読みたい】

休日、私だけの日課

晴れた日曜日の午前中は、散歩に行くと決めている。

近所を歩くのにふさわしい軽いベースメイクに、いつものボーダーシャツを着る。空気がすっかり春の匂いになった記念に、淡い黄色のスニーカーに足を突っ込む。

階段を下りながら、私はいつも通りラジオアプリを開いた。

お気に入りのラジオ局にチューニングを合わせ……と言いたいところだけれど、実際にはただボタンを1つ押すだけで、私の好きな声や曲がスマホから流れ出す。

ああ、便利な世の中。

そうして、家の近くをグルグルと歩く。 

河川敷で中学生が野球の練習をしていたり、猫と犬を同時に散歩させているおじさんがいたり、新メニューの香りに負けてパン屋さんに寄る私がいたり。 

今日は春キャベツのフォカッチャの誘惑に負けてしまい、隣の公園で一人頬張った。

川沿いを15分ほど歩くと、小さな花屋さんがある。

お店自体は狭いけれど、入りきらないくらい花がたくさん置いてあって、道路ギリギリまで色とりどりの花が溢れ出てしまっている日もあるほど。

日曜日に散歩に出たら、ここで花を買うと決めている。

明日からの1週間を頑張って乗り切るための、自分への栄養剤として。 

数本選んだ花束を抱えて家までの道を歩く時、人目を盗んでついついマスクを外して、花の匂いを嗅いでしまう。

そうして歩く帰り道は、花束と一緒に幸せまで抱えている気分になれるのだ。

家に帰って花を生け、コーヒーを淹れていたら、ゴソゴソと布団が動いた。

「あ、おはよー。今日も散歩行ってたの?」 

花瓶に入れた花を見て、翔太は寝癖のついた頭でそう話す。

髪形に、新しい服、部屋のインテリア。こういう些細な変化に気がつく彼に惹かれたんだっけ、と思い出す。

だけど…………

 「ほんと由依ってエモいよねえ」

彼は、私の行動のすべてを「エモい」の一言で片づける。

同窓会で再会した、人気者の彼

高校の同窓会で再会した翔太は、当時から放っていた一軍の空気をそのまま纏っていて、ひっきりなしに女子たちに囲まれていた。

まさか、私がその同窓会の1か月後に翔太と付き合うなんて、思ってもみなかった。

「由依、いま三井記念美術館の職員なの?」

「え、そうだけど」

「まじか! 俺いま、あそこの展覧会の……」

会の半ば、いきなり声をかけられて驚く間もなく話していていると、翔太の働く総合商社が展覧会の協賛をしていて、数か月だけ美術関係の仕事をしていることが分かった。

そのまま話の流れで美術館デートをすることになり、何度かデートを重ねるうちに、トントン拍子に交際が始まった。

翔太は面白くてイケメンだし、アート系の趣味が合うこともあり、話してて楽しい。

総合商社で将来も有望そうだしこれは結構な幸せを手に入れたのかも。

25歳、ちょうどいい時期に出逢いを果たした私は、確かに浮かれていたのだ。

初めて彼が家に来た日。

マグカップ2つにコーヒーを淹れていた私を見て、翔太は言った。

「やっぱり。絶対由依ってこういう生活してると思ったわー。なんか、エモい!」

翔太は、なんだかとっても嬉しそうだった。

「いやあ俺さ、“ていねいな暮らし”っていうの? そういうのにすげー憧れててさ、由依が美術館で働いてるって聞いてもしかしてって思ったわけ!」

「ていねいな暮らし?」

「うん。そうやってハンドドリップでコーヒー淹れてるところとか。あとこの部屋だって、おしゃれな本が並んでたり花が飾ってあったりさ、こういう趣味の人ってなんか、つつましやかでエモいじゃん」

ていねい。

こういう趣味。

つつましやか。

言葉の端々が焼き魚の小骨のように、私の心に引っかかった。

どうしてこの人は、「私の」好きなものを勝手に一括りにしてしまうのだろうか。

ハンドドリッパーは、コーヒー好きな私に一人暮らしのお祝いにと、父がくれたお気に入りのものだ。

本だって幼い頃から好きな物語や画集を少しずつ集めたもので、おしゃれかどうかなんて全く関係のない話だ。

私の家にあるものも私が好きなものも、それぞれに理由や思い出があるのに、どうして「エモい」でまとめられないといけないのだろう。

流行りの映画を観てそういうエモい生活に憧れ始めたんだ、と翔太は言うけれど、そうやって勝手にひとまとめにされるのはいい気分ではない。

私と付き合えば「エモい生活」が送れるという理由だけで、私はこの人に選ばれたのだろうか。

ふんわりと笑いながら言うその姿を見ていれば、その言葉に嫌味は一切含まれていないことは分かる。それにこの後数か月付き合っていく中で、それだけで付き合ったわけではないのだろうなと想像することはできた。

けれど、どうしても心の中がグレーになる。

「あとあれでしょ、散歩とか好きなタイプでしょ、由依って」

さすがに返す言葉に詰まった。

こういう趣味の人って、どうせ散歩も好きだったりするんでしょう?

そんな風にしか聞こえないニュアンスで、私の趣味を図星であてられるほど、自分自身がありきたりな存在であることに悔しさが沸き上がった。

どこにも居ない特別な存在になりたいと思ったことは無いけれど、私の「好き」は私だけの特別にしておこうと思ったことは何度もある。

けれど私の趣味は、私「みたいな」タイプの人間みんなが好んでいるのだろう。

翔太みたいな派手なタイプの人間から見れば、私も私みたいな他人も、「エモい」の型に入った同じ人間に見えているのだろうな。

「エモい」と言われなくなる日まで

と、付き合った当初に幻滅する出来事があったけれど、私はそれ以降も生活スタイルを変えなかった。

そんな奴の意見に左右されてたまるかという意地も、全く無いとは言い切れないけれど。

私が散歩に行っているのを初めて知った時は案の定「エモい」と言ってきたし、今日みたいにことあるごとに「エモいよねえ」と私を見て感心している様子だ。

私は毎回飽きずにモヤっとしてしまうのだけど、今のところ別れる予定はない。

それは、私も彼を「派手な奴」だと一括りにしてしまっていることにあるとき気がついたからだ。

同窓会で会った日も「こういう人の周りには派手な女の人が集まるんだよなあ」と決めつけていたし、商社マンだと知ったときも内心「やっぱりな」と合点がいった。

私のことを「エモい」と表現する前から、私は彼のことを「テニサーに入って毎日飲み歩いてたんだろうな」と決めつけていたのだ。

でもあとから聞くと、翔太はスポーツ新聞部に入って4年間真面目に忙しく活動していたらしい。 

私の「派手で人気者だった商社マン」への偏見は、彼の私に対してのそれと何の変わりもない。

だから私は、もう少し彼と一緒に居ようと思う。 

私が他の誰かを「派手な奴」と一括りにしなくなるまでは。

そして、彼が私のことを「エモい奴」と一括りにしなくなるまでは。

文/チナミノナカミ

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